自分をもてなす

老眼鏡日記洗濯機日記にコメントをありがとうございます。

洗濯機や冷蔵庫の買い替えは、完全にお亡くなりになるよりも少し前かもう少し大分手前のほうが安心です。

うちの前の洗濯機はある日突然脱水のみできなくなって、水をためて洗濯もすすぎもできるし排水もできるのに脱水だけができなくなって、洗濯機の脱水機能というのはかなりだいじな仕事で、これはもうだめだと諦めて購入に至りました。

でも、購入したからといって、なかなかタイミングよくすぐに取り付けに来てもらえるわけではなく、数日待つ期間があり、その間は洗濯はせずにためておき、どうしてもすぐに洗いたいものだけ手洗い手絞りで干して対応して、それはなんだかずいぶん不便なことでした。

とはいえ、もうだめかなー、と思っても、なんとなくそれなりに働いてくれるうちはそのまま使いたいもので、「もう買い替えないとだめかなー」と話をしたらなぜか調子が戻って元気に働いてくれたりすると、え、まだ頑張ってくれるの、という気になり、その頑張りに応えて、つい、そのまま使っていると、ある日突然お亡くなりになるのです。

それで言うと、現在の我が家の冷蔵庫のことを本気で考えなくては、と思うのですが、結婚した時に父が祝いに買い与えてくれたものを使い続けて二十数年、きちんと冷やしてくれるし、パッキンも全然問題ないし、今時の冷蔵庫のほうが電気代はずっと安くなるんだろうなとは思いながらも、そのまま愛用しています。

ある日突然に冷えなくなるよりも手前の段階で買い換えようね、と話してはいるものの、ふたりともなんだかのんびりとしています。

当時の製品は、あたりさえよければ、使い勝手がよく、丈夫で、頼もしく、生きている間ずっとお世話になり続けることができるのではないかと思えるものですから、つい。


老眼鏡にもいろいろあって、その人の目の状態やどういうシーンでどのくらいどんなふうに見えるようにしたいのかによって、いろんな選択肢があるんだな、と今回の老眼鏡購入で学習ができました。

近視矯正手術をして数年経ってから、モノビジョン気味になった時に、暗いところでもくっきりぱっきり見たいものが見えるくらいの弱い近視用眼鏡を作って使っていた時期があったのですが、実際観劇的な場所でその眼鏡をしてみて、かければはっきりとよく見えはするものの、どうも自分は観劇的なシーンでそんなにくっきりぱっきり見たいわけではないらしいと気がついてからは近視用眼鏡をほとんど使わなくなりました。

観劇的なもので私が好んで座る席は、最後列の中央で、舞台の上の細かいものよりも、舞台全体、天井から床から柱から客席全体までを画として見ることに愉しさを覚えるようで、その画がクリアであることに対するこだわりはそんなにないみたいで、むしろクリア過ぎてエネルギー負けするよりは、ぼんやりと身を漂わせ安全に作品エネルギーを受け止めたいような、そんなかんじです。

あと視力に関しては、乾燥症候群(主に口腔粘膜乾燥)の治療でサラジェンを飲むようになってから、サラジェンが効いている間は涙が潤ってくれるおかげで、裸眼で十分よく見えるようになったのです。

弱い近視用眼鏡で視力を足したほうがいいかな、と思っていた頃は、ドライアイ用の目薬を常用してはいましたが、それでもドライだったせいで、備わっている視力を発揮しきれない状態だったみたいです。

サラジェンも飲んでるし、遠くをくっきりぱっきり見たければ弱い近視用眼鏡もあるし、手元の小さな活字をガブガブ読んで遊んだり働いたりしたい時には老眼鏡があるし、今後目の状態が変われば、遠近両用眼鏡、中近両用眼鏡などの選択肢もあるし、その時どきで機嫌よく遊んで暮らしていけるよう、この世にいる間の自分をもてなしていきたいと思います。