調査報告を重ねる

「王様の恋の思い出」と「抱き合う関係」に拍手コメントをありがとうございます。

「君を(あるいはお嬢さんを)必ず幸せにします」と言う表現は、そのカップルにおける「しあわせ」の定義は別にして、婚姻等に臨む上での気概や意気込みを演出する慣用句なのかもしれません。慣用句ということになれば、その言葉を聞く側も、評価するのは、その気概と意気込みの部分であり、そう言ったからには、自分(自分の娘)にとって都合のよい働きをしてくれるだろうと勝手に期待できるのも、心地よさのひとつだったりするのかなあ、と思ったり。

「抱かれる」に関しては、一方的に無理やりのときに使うものだと思っている、とのことでしたが、たしかに、受動態には「予想外の思いがけない不本意(例「悪口を言われた」など)」を表現する効果があるので、そういう使い方も可能であり、実際そういう前提でその言い回しを使う人もいることでありましょう。しかし、レイプとなるとそれは暴力犯罪であり性交渉ではなありません。その基準で考えると、レイプすることは「抱く」ことではなく、レイプの被害に遭うことは「抱かれる」ことではなくなります。

そこで「抱く」はあくまでも、合意のうえでの性交渉を意味する、という前提で「抱かれる」を考えるなら、この場合の受動態は、「予想外の思いがけない本意や喜び(例「誉められちゃった」など)」を表現する効果を狙ったものなのだろうか、と予想します。あるいは、自分が主導的に率先してその性交渉に積極的に貪欲に臨んだわけではない、自分はあくまでもつつましく控えめであるけれど、相手の強い求めに応じていたしかたなくお相手さしあげたにすぎない、というイメージ戦略があるのだろうか、とも考えたり。

暴力や犯罪でもなく違法というわけでもない性交渉において「抱かれる」と表現する心情のひだにあるものは、もしかすると、私が想像する以上に、何か壮大な野望や願望を含んでいるような気がしてきました。

引き続き、折々に、お互い調査報告を重ねてゆくことにしましょう。