呪縛からの自由

「アクセント自由地帯」に拍手コメントをありがとうございました。

考えれば考えるほど、アクセントの正誤はどうでもいいことだなあ、と思うにもかかわらず、私にとっての共通語アクセントと異なるアクセントがニュースなどで話されると、瞬時に「あれ、いまのアクセントは」と、ほぼ必ず、脳が立ち止まります。日常語として方言として異なるぶんにはまったく問題ないのですが、共通語となるとなぜか。

なんとかこのアクセント呪縛から逃れる方法はないだろうか、と、ときどき思案するのですが、逃れようとするのではなく、自分で内側から抱きかかえて破壊するくらいの心意気が必要なのかもしれないなあ。