うちの子のやる気

新人三年目くんネタと夫の誕生日ネタに拍手コメントをくださり、ありがとうございました。

勤務先の部下の方たちのことを「うちの子たち」と呼んでは、ご家庭で、「部下たちのことなのか、自分の子供たちの話なのか」と詰問を受けるとのこと。仕事関係で「うち」を用いるようになったら、もう、その仕事やメンバーなどは、ある種自分の生活の一部になっているように思います。

私は夫の転勤に伴ってや、何度かの勤務先の廃業などで、失業と再就職に関しては、「ちょっと達人」なかんじなのですが、新しく就職したところを「うちの職場」と呼べるようになるまでには、しばらく時間がかかります。けれど、いったん「うち」になった職場と同僚たちには、必ず一定以上の愛着が湧いて、いろいろ課題は抱えつつも、気持ちよく仕事をすることができるようになります。さいわいなことに、これまで勤めたどこの職場でも、私は気持ちよく仕事をすることができて、ありがたいことだなあ、と感じます。

夫は囲碁の道を、相変わらず、着々と歩んでいます。碁盤と碁石は、プレゼント初日ほどの活躍は今は見られませんが、それなりに活用してもらえていて、プレゼントした甲斐を感じることができています。

昔、夫が、なんとなく、「楽器を習いたい。フルートを吹きたい」と言い出したことがありました。ピアノを弾く私としては、夫がフルートを吹けるようになってくれたら、夫婦で合奏できるのではないだろうか、それは、たいそう楽しいのではないだろうか、という夢想にとりつかれました。その結果、それからまもなく私は夫に、今回買った碁石碁盤セットの十倍以上する値段のフルートを、買ってプレゼントしてしまったのです。

夫は、入手後間もない頃にほんの数度、ぴー、と音を鳴らしてみた以外は、コレクションの銀貨を鑑賞するのと同等のまなざしで、当時も今も、フルートの銀色を眺めているだけです。

あのときに、今後夫に何かをプレゼントするときには、そのものをどのくらい本気で欲しているのかを、半年以上は見極めてから購入したり入手したりすることにしよう、と心に誓ったのでした。

そういうわけで、今回の碁石と碁盤は、夫が「ほしいなあ」と言いはじめてから、半年以上観察して、本当に活用しそうかどうか見極めた甲斐がおおいにあった、というかんじです。

やはりプレゼントというのは、プレゼントする側の夢想や妄想に基づいて贈るよりも、受け手の実用や動機に合致したものを贈るほうが、双方の気持ちも、そのものの冥利も、満たされるというものらしい、と、あらためて学ぶ春でございます。