贈り物の魔力

拍手コメントと、それぞれにもらってうれしかったプレゼントの話を聞かせてくださって、ありがとうございます。なんだか私まで、にこにことうれしい気持ちになりました。

全然自分の趣味じゃないへんてこりんなものでも、必死に選んできてくれたと思うと、にわかにかわいく思えてくる、というのも、なるほどなあ、と思いました。でも、それで、愛着が湧いて捨てられない→物が増える→散らかる→片付かない、の循環を正当化する寄りきり技の見事さには脱帽です。

携帯ストラップのお土産(贈り物)として優れているところは、まず、その嵩張らなさと軽量さにあるように思います。旅の道中に購入しても、持ち運びが苦でなく、もらったほうも置き場所を取らなくてすみます。携帯電話やバッグなどにアクセサリーとしてつければ、自分の持ち物である目印にもなりますし、そのものを見るたびに、それをくれた人と交換し合う好意のことを思い出してしあわせな気持ちにもなります。そのものを選ぶときに、その人が自分のことを思い出しイメージしていた時間がたしかにあるだろうと思うことも、受け手の脳内に快感の汁を分泌してくれます。

一昔前だと、キーホルダーがその役割を担っていたのかもしれませんが、ストラップはキーホルダーよりも軽くて、鍵よりも携帯電話のほうが頻繁に手にすることが多くて、いまや完全に下克上が成し遂げられた感があります。

ストラップを製造販売する会社が対象とする主な客層は、やはり修学旅行を行う世代のお子様たちなのでしょうか。年間製造計画や出荷計画も販路も、修学旅行の時期やコースに合わせて、事前に調整がされているのでしょうか。なんだか急に、ストラップ製造販売会社に社会見学に行って、いろいろ質問したい気持ちになってきました。

大好きな人(人たち)がプレゼントしてくれたものだと、そのものがそのもの以上の価値を持つ、というのも、なるほどなあ、そうだよなあ、と思いました。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の逆バージョンか、ということでしたが、それに相当する諺(ことわざ)や慣用句や四文字熟語があったら知りたいです。

贈り物は、物品としての役割以上に、思いを乗せる媒体としての役割を担う部分があるのかもしれません。贈られたその品物を見るとき、その品物の存在を思うときや思い出すとき、自分がこの世で縁あって知り合い親しくなった誰かと自分の間にある、互いへの好意や、信頼や、願いや、力や、勇気や、いろんなものが大きく強く蘇るようになっていて、贈り物とは、そういう魔力を秘めた装置なのかもしれません。