自分大好き経文力

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夫は間違いなく「自分大好き」な人だと思うのですけれど、夫のほうは私のことを「さらによりいっそう自分大好き」な人だと思っているようです。

私は「ハンデをつけてもらうけど互角」などという意味のよくわからないことは言いませんが、共同生活を行うにあたっての必要な家事等について私が先に気が付いたり実行したりしたときには、「気が付いた私えらいじゃろ」「先にやった私えらいじゃろ」「どうやらくん(夫)が私より先に気づいたりやったりできんのんじゃったら、せめて、先に気づいたりやったりした私のことを賞賛するくらいせんにゃあ」「どうやらくんは、私のことを、あんまり褒めて、私がつけあがっちゃあいけんけん、とか言うけど、私が生きてる間に褒めんでどうするんよ。私がぽっくり逝ってからいなくなった私のことを褒めるよりも、生きて今ここにいる私のことを褒めるほうがずっといいじゃん」「私がつけあがるくらい褒められるもんなら、ほんとにそれくらい褒めてみてよ」というような「うっとおしいこと」はよく言います。

たとえば、除湿機のタンクが水でいっぱいになったときに、その水を捨てながら、夫にいちいち「また、私、気づいたよ。どうやらくんより早く気づいたよ。えらいと思わん?」と言います。夫は、「おう、おう。みそきち、えらい。さすが王様、大王様」と合いの手を入れてくれます。でもなんか、褒めているかんじとは何かがちょっと違うよなあ、と思います。

そういえば、義弟(妹の夫)は、よく、「俺、自分のことが大好きじゃもん」と言います。すると妹が、「そんなこと、いちいち言わんでももう知っとるわいね」と返します。そこで義弟は、「知っとっても言うてもええじゃん。言えば言うほどもっといっぱい好きになるじゃん」と言います。

なるほどなあ、そうだよなあ、何事もたいていのことは、肯定的な言葉を繰り返し重ねることで、その力が増強増幅されるものだよなあ、と感心しながら、私は義弟の言葉を聞きます。

そういうこともあり、さらによりいっそう、「自分大好き」と「どうやらくん(夫)大好き」を日々経文のように口ずさみつつ(夫は「みそきちは、その言葉を、空気を吐くのと同じように言う」と言います。経文化大成功のようです)生きてる間を生きていこうと思います。