チアリーダーへのリクエスト

「たいへん合戦開催地」に拍手コメントをくださりありがとうございました。

一応たいへん合戦のこの上ない不人気ぶりがあらわになりました。が、こういうコメントをくださる方々とは別に、「好きでやってるんだから放っておいてよ」という方々もきっといらっしゃって、そういう方たちがその志を私に対して伝えてくださることはおそらくきっとないので、合戦の人気と不人気の割合は簡単に明らかにはできません。

何かについて「たいへんさ」を話す人に対して、ねぎらい、応援、提案、のかけらを提示してみたときに、それを受け容れて話が展開する人の場合は、本来、合戦の意志はあまりなく、かけらの提示に対しても否定的な言動をとり続ける場合には合戦でいったん燃え尽きて果てるのも、エネルギーの巡りに関する調整の一つの手なのかもしれません。合戦するなら合戦にふさわしい相手を、そういう意味での精力絶倫なタイプの人を、見極めて選んで行うほうが望ましくもあり、効果的でもあるでしょう。

もしかすると、たいへん合戦を実践している人たちは、最初は別段合戦のつもりではなくて、「自分はこんなにたいへんだけどなんとかがんばっているよ」という近況報告であったり、「それはたいへんそうだけど、自分もこんなにたいへんなことがあるけど、それなりにやっていってるから、きみもきっと無事にこなせるよ」という共感と応援のつもりだったりするのかもしれないなあ、と、少しだけ思ってみています。

けれども、同じ近況報告をするのであれば、あるいは、共感と応援をするのであれば、各自の不満のエネルギーを垂れ流すような手法ではなく、その中やその先にある本来の意志や充実感や喜びにかかわる部分を大きく投影する表現や手法のほうが、個人的には好みです。

不満や不安が持つエネルギーは、相当気をつけて取り扱う必要があります。なぜならそれらは、いとも簡単に、人の生命力を、自分や他人の健康を、削いだり損なったりする力を持っていますから。

不満や不安を表出するときに、発露したいだけなら「発」のカードを、ねぎらってほしいだけなら「ね」のカードを、合戦したいなら「合」のカードを、応援を求めるのならば「応」のカードを、解決の工夫に関する協力要請を行いたいなら「解」のカードを提示するなど、カードの提示の代わりに、前もってどの種別における話なのかを明らかにする文化が浸透してくれると、私としては助かるのですが。

あ、でも、そういえば、私がときどき夫に、「あのね、応援してほしい話があるんだけど」と言ってから話をしたときに、夫が「チャ、チャ、チャ。チャ、チャ、チャ」と、すごく下手なチアリーダーのふりをしながら「応援、応援」と言ってくれることがあるのですが、あれは不思議と妙に腹が立ってくるので、夫には、「どんなふうに応援してほしいか」ということに関しても、事前にリクエストするほうがいいのかもしれないなあ。