しきたりのない居留守番電話

「かえつておいで」への拍手コメントをありがとうございます。

これまで、義母は私に何かのプレッシャーを感じさせるようなふるまいは、一貫して、一切ない人です。私が結婚してから最初の頃に義実家に泊めてもらったとき、義母は私に、「うちには年寄りはおらんし、しきたりはなんにもないんじゃけん、みそさんの好きなようにしんさいよ」と、折々に声をかけてくれていました。今となっては自分でも「好きなようにしすぎじゃ!」と自分をどつきたいときもありますが、全般的に私が心穏やかに生きていることができるのは、きっと、義母の在り方のおかげの部分もたくさんあるのだろうなあ、と感じています。

そして、私は、どうも、心穏やかに生きることはある種自分の使命であると捉えているところすらあるようで、心穏やかでいるためならば、在宅中でも携帯電話携帯中でも必要に応じて留守番電話に対応してもらうことは、基本中の基本としています。

全然知らない勧誘電話はもちろんのこと無視しますし、電話の主が母であっても義母であっても友人であっても誰であっても、今電話に出るのは心穏やかじゃない、と判断したときには、堂々と、留守番電話に活躍してもらいます。「居留守番電話」ですね。

今電話に出るのは心穏やかじゃない状況の筆頭としては、排尿中や排便中(特に下痢の時)があげられますが、睡眠時や寝ぼけ時も、その他何か集中を要する作業中も、いったん留守電さんに任せて、緊急性の高いメッセージのときもそうでないときも、ちゃんと手を洗い、必要であれば顔を洗い、うがいをして、何か少し飲んで、呼吸を整えて、いったんきちんと落ち着いてから、電話をかけ直すようにしています。あわてているときの電話は、やはり通話(会話)の質のようなものが多少低下しますから、あわてた状態での電話は必要最小限にしたいなあと思っています。それは電話に限らず、メールでもそうではあるのですけれど。

待ったなし、での対応が必要なことも、世の中にはいろいろありますが、待ったあり、でも、わりとまあまあかなり問題なくだいじょうぶなこともけっこういろいろありますから、待ったり、待ってもらったり、を、その都度、適切に選びつつ、ひとときひとときの繋がりを、思いをこめて見つめながら生きて行けたら、と願います。