静かにそうっと絵文字

「かえつておいで」に拍手コメントをくださり、ありがとうございます。

お母様は、娘さん(お母様にとってはお孫さん)とのコミュニケーションのために、携帯電話での絵文字使用に、熱心に取り組んでいらっしゃるとのこと、感心いたしました。そういう明確な「動機」がもとにある熱意って、いいよなあ、好きだなあ、と思います。

娘にはそっけないのに、ということですが、きっとそういうものなんですよ。お互い成人になると、親子の距離感では、親があんまりこちらに合わせて何かに新規に取り組んでくれても、その熱意にちょうどよく応えきれない間合いのようなものがあるような気がするのです。その逆(子のほうが親に合わせて何かに取り組み過ぎても、親のほうもその熱意を受けとめきれないこと)もまた、往々にしてあるような。それが親子やきょうだいとは別の関係性であることで、ちょうどよく成り立つ間合いというのがきっとあって、それについては、そういう関係にある人々にお任せし、自分もそういう関係の中にいるときにはその役割をまっとうしましょ、と気軽に決意しています。

絵文字顔文字に関しては、私はいっさい使わないため、絵文字や顔文字や動く絵入りのメールをもらったときに、おそらくその絵に込められている意味を十分に受け止めきれてないのだろうなあ、という自覚と自信はあります。知らない語彙があるのに、その語彙を辞書で確認せずに読む外国語文章にも似ているようであり、引用や参考となっている文献本体にあたらずに論文等を読んだ時のうわっつらなかんじにも似ているようでもありますが、一応今のところ、その意味を解読しきれていないことによる不便や不都合でのたうちまわる出来事がないので、この調子でいけば、生きてる間ずっとこのまま絵文字類を使わずにやっていけそうだな、と。今のところ誰からも「頼むから絵文字を使ってくれ」という依頼や懇願を受けたことがないこともあり、このまま自分を静かにそうっと放っておいてやる所存です。