拗ねてそして大輪の華

「扇の要返し(後編)」に拍手コメントをくださり、ありがとうございます。

みみがーが、将来、踊り手としての大輪の華を咲かせることを願ってくださることにも、ありがたく感謝いたします。

「みみがーさんの気持ちがわかるような気がするなあ。十分、気のすむまで拗ねるべきかも」ということでしたが、お盆に会った友人も、ほぼまったく同じことを言っていて、わあ、拗ね拗ね応援隊がいっぱいだあ、と思いました。

広島弁には「はぶてる」という言葉があります。「はぶてる」は、「拗ねる」や「ふてくされる」に比べると、おそらく若干、立腹度と不機嫌度が高いような気がしています。「拗ねる」や「ふてくされる」が多くの場合そうであるように、「はぶてる」も、どちらかというと、自分のことに関してはあまり用いません。

「わたしは今はぶてようるんじゃけん(はぶてているのだから)」というふうにはあまり言わなくて、誰かが多少立腹して(激怒ではなく)不機嫌で無口な状態を見た他人が、「あーあ、はぶてようてじゃわ」「そんなに、はぶてんさんなや」というふうに、揶揄したり諭したりするかんじで言うことが多いかなあ。

でもそういえば最近は、あんまり、はぶてる人、を見なくなったような気がします。昔に比べるとやっぱり、多くの人がどちらかというと、いろいろと満たされていて、そんなに「はぶてる」ほどに、不機嫌を撒き散らさなくても済むようになっているのかな。それとも私が広島に住んでいないから、「はぶて」の目撃機会が少なくなってるだけなのかなあ。