自分の細胞を守ろう運動

「マスクで修行の花粉症」に拍手とコメントをありがとうございます。

最初にお名前なしでメッセージをいただいたのを読んで、なんだかわたしが親しくしている友人夫婦とよく似たカップルがここにもいるんだなあ、と感心していましたが、追加でお名前のお知らせをいただいて、まさにわたしが親しくしている友人本人だとわかり、自分の推理力の寄り道ぶりに少し脱力しました。

夫さんの「聞いたふりして聞いてなくて、分かったふりして分かってなくて、その聞いてないことを、わかってないことを、すぐにボロが出てばれて、妻を不機嫌にする技」は、あいかわらずご健在なのですね。

なんといいますか、ここまでこの技一筋でやってこられた道のりを思うと、あれはあれで、もう、ひとつの芸として確立されているような、一本スジが通っているような、崇高さすらおぼえます。

いや、きっと、夫さんご本人は、本当に聞いているつもり、分かっているつもり、でいらっしゃるのだと思うのです。ただ、妻が思っているようには聞いていなくて解釈していない、という特性が伴っているだけで。

我が家では、夫が「聞いたふり」をしているときには、わたしの語尾をただ繰り返すという大きな特徴があるので、その場ですぐにわかります。そのときには、別に気持ちを注いでる出来事が何か進行中なのだな、と、いったん話を保留してみます。それからしばらくして、もう一度、「さっきの話なんだけどね、もう話しても集中できるかな」と訊いてみて大丈夫だったら言うようにするなどの工夫を重ねているのですが、それでも、数日後や数週間後に、「みそきちどんさん、知ってた? なになにがなになにだって!」と夫がわたしに話してくることがあり、そのたびに「どうやらくん、それは、このまえ、わたしがそう言って話して、そしたら、どうやらくん、そうかそうかなるほど、って言ってたじゃん」と、少し新鮮な気持ちをかみしめます。

そこで「おまえ、わしの話を聞いてなかったんかい!」と立腹するのも可能ではあるのですが、立腹や不機嫌は自分の生体細胞を破壊するエネルギーを持つものなので、自称ちょっと健康オタクのわたしとしては、立腹や不機嫌ではなくて、別の形で感じたり受けとめたり捉えたりすることで、自分の細胞を守ろう運動に励んでみているところです。

この運動、けっこう道のり、険しい、ですが、よろしければご一緒に。