はて、これはなんだろう

「ベビー用ミルクを推理する」に拍手とコメントをありがとうございます。

前回の「推理の流れを推理する」といい今回といい、この推理モノネタについては、どうもわたくしたちは共通のツボを持っているようですねえ。

ほんと「訊く前に考えようよ」なんですよね。「けちけちせずに教えてくれたっていいじゃん」と言われてもですね、「教えてくれたっていいじゃん、かもしれんけど、考えてみてもいいじゃん」だと思うのです。

いや、たしかに、訊く(尋ねる)ことも大切ではあるのです。うーん、これは自分でも努力してみたけれど、あるいは自分で努力するのもまあ悪くはないけれど、商店での商品の置いてある場所ひとつにしても、その道の専門家に相談するほうが明らかに合理的だよね、ということは多々あります。

しかし、「はて、これはなんだろう?」と思ったときに、「それはね、これ」とすかさず教えてもらうのもそれはそれでありでしょうが、そのものの各種特徴や各種情報を自分の中で吟味して予想して推察して確認してという過程を経るのは、脳を脳として使う上で大切な訓練のような気がするのです。

どういうところで大切な訓練となるかというと、おそらく、何かが自分にとって安全なものか(状況も含めて)危険なものかを予想して推察して、必要であれば確認する訓練に繋がる部分でしょうか。

これは安全ですよ、これは危険ですよ、と、教えてくれる立場の人が言うことが常に正しいわけではない可能性があるということもありますが、安全だとか危険だとかいうたいそうなこと以前に、なんだろうなあ、誰かがこう言ったから自動的にそうして、その結果何か不都合があったときにはその人のせいにして、不満を抱えてそこでおしまいにする、というパターンやループの防止をしたくなるクセがあるのかなあ、わたしは。

そして、「これなに?」「それはこれこれだよ」で会話を終えるのではなくて、「これなに?」「なんだと思う?」から始まる会話をたのしもうよ、会話の過程での脳活性化をもっとしようよ、というのもあるのかもしれないなあ。

あと、「はて、これはなんだろう?」から始まる思考の積み重ねは、自分にとって必要なものや、あるとより便利なものなど、に関する情報を収集検討する力の訓練にもなるような気がしてきました。これは、不必要なものやないほうが適切なものに関しても同様なのではないだろうか。

「なんだろう」と思ったものの詳細情報を確認する力は、自分にとって必要なものに関する情報がどこにあるのか、どんな形で存在しているのか、どうすればそれが手に入るのか、手に入らない場合は何で代替が可能か、というようなことに関する思考や実働を進行していく上で必要なはず。

「それってただの趣味なんちゃうん?」と言われればそうなのかもしれないのですけれど。趣味は大切にしたいもん。