お互いさまでどうだ

「マスクで修行の花粉症」に拍手とコメントをくださり、ありがとうございます。

ほんとうに、そうなのです、そのとおりなのです。花粉症対策を十分に行えるかどうかは、そしてその結果快適に生活を営むことができるかどうかは、同居の家族の理解や協力の有無や程度によって、大きく影響を受けます。

夫はわたしの話を聞き流すのが上手なだけでなく、自分がかつて聞き流したことであっても、いざ自分が何かを知りたくなると、わたしの状況にかまわず「こんなときにはどうしたらいいん?」「この薬ってどう使ったらいいん?」などの質問を浴びせかけることがあります。

人間知りたくなったときに知るのがタイミングとしては適切なんだろうな、とは思うのですが、その質問はわたしがうどんを食べている時でなくてもよかろう、というようなケースがたいへんに多く、またわたしとしては「この前話したときには聞き流したくせによう」と少しひねた気持ちも湧き上がる部分があるものですから、「また、あとで」だとか「あとで自分でネットで調べてみて。それでわからんかったら、また言って」などと返すことがあります。そうすると夫は「薬剤師さんなんだから、ちゃんと教えてくれないと」「患者さんやお客さんにも、またあとで、とか、自分でネットで調べて、って言うのか」と要求や詰問をわたしに向けて行います。しかし、お客様や患者さんは、わたしがうどんを食べているときに相談や質問をしてこられることはありません。

夫さんが話を聞き流されると強く強く抗議なさる、とのことですが、話って、やっぱり聞いてもらいたいですよね。

とはいうものの、わたしは夫の話を聞き流すことがないかというと、実はやはりときにあるのです。うどんを食べているときだけでなく、そのときの自分の興味や聴く力とタイミングがぴったり合っていなくて、というときが。

だから、こういうことは、夫婦お互いさまだったりするところもきっとあるよね、のはずなのですが、お互いさまだからこそ、それぞれに「ちょっとー、ちゃんと聞いてよー」と思うのがいいのかしら、わたしとしてはそれはちょっといやなんだけど、と逡巡するところです。