食器の風味

富士山と日光東照宮と我が家」にメッセージをありがとうございました。

日光東照宮ではなく、あえて我が家を選んでもらえたということは、私は家康公に勝ったということなのか、そうなのか、と思ってみたり。

妹夫婦はこちらで日本海の幸を堪能して帰っていったのですが、中でも彼らは甘エビがたいそう好きなようで、夜のスーパーで見つけて、「わー、この甘エビ、生だよー」「しかも半額ー」と喜んで買って、我が家でちゅるちゅる食べていました。

私が「甘エビが生ってどういうこと? 甘エビは生じゃろう」というと、妹夫婦が「わかってないね、日本海側に住んどる人は。こっちでは甘エビは常に生かもしれんけど、広島では冷凍か冷凍の解凍かしか売ってないんよ」と説明してくれました。

その生の甘エビを食べる時に、我が家の食器棚からお皿を出し、お醤油とわさびを用意したのですが、そのお皿が、どてらの父が旅先で買ってきた焼き物シリーズのもので、義弟が「わあー、どてらとおなじ食器じゃー」と言っていました。我が家のどてら風味は、そんなふとしたところにも現れるものなのでありました。

義弟が「みそちゃんとお兄さんは、将来、広島に帰ってくるん(永住先として)?」と訊くので、「いろいろと考えるところではあるのだけど、日本海のお魚のおいしさに溺れている今の身体では、日本海から離れるのは難しいような気がする」と応えました。義弟は「いいじゃん、魚が食べたい時には、広島でブラックバスを食っとけば」と言いましたが、ブラックバスが私の魚欲を満たしてくれるとは思えません。

ずっと以前、実家の母にも永住先として広島に帰るのか帰らないのか、と訊かれたことがあるのですが、そのときには「老後の永住先としてはカナダも候補に入っているから、検討中」だと答えました。母は「カナダに永住するなら早く行ってちょうだい。カナダなら自分も遊びに行きたいんだから」と言いました。私の老後の永住先の話をしているのに、母の老後の遊びに行き先の話をしてどうするのだ、私の老後なのだから、おそらく母はすでに他界している可能性が高いと思うが、と言ったら、「あ、そうかそうか。でも行くんならあんたの老後を待たずに早く行ってくれたら遊びに行けるじゃん」と母は言っておりました。

もしも長生きしたときには、そのときそのときで暮らすところを考えたり選んだりすることになりますが、そのときそのときの満足の中で暮らせるよう精進しようと思います。

誰もそんなことは思っていないかもしれませんが、私は自分のお墓や供養施設として日光東照宮のようなものを作る予定はありません。