理解してあきらめてそして目指す
「走ってわかって世界平和」にコメントをくださりありがとうございます。
互いのクセを知り、理解をしたり、諦めたりする、一連のいろいろは、結婚における「お互い様」なのかもしれないですねえ。
お互い様がお互い様であるうちは、結婚が結婚として成り立つのかもしれないなあ。
でも、ついつい、お互い様とは思えなくて、まったくもう、このやろう、と思うこともありはするのですが、それも含めてお互い様なんだろうなあ。
主観的にも客観的にも、お互い様の均衡がなくなったときには、それはそれでそれに必要な手続をするなり、立ち位置を見直すなり、しながら生きてゆけば大丈夫。
しかし、クセを理解してあきらめる、というのは、配偶者相手に限ったことではなくて、配偶者以外の他人もさることながら、誰よりも自分自身のクセを理解してある程度あきらめるべきところはあきらめる必要があるんだろうなあ。
投げやりになるわけではなくて、上手にあきらめることをあきらめて、自分が目指すことを目指すのも、きっと大切なことなのだ。