記憶の箱を繋ぐ紐(ひも)

拍手コメント、ありがとうございます。

以前からうかがっていたお父様のご容態は、楽観的ではない状況であるにもかかわらず、なんというか、ほんとうに、生きる力のたくましさに感嘆せずにはいられません。

病巣が脳にあることの影響で、言葉の、特に発話の語彙の不自由さは、お父様ご自身もご家族の皆様も、もどかしいことが少なくないでしょうに、ご家族の誰も、お父様ご本人も、まったく、あきらめることもひるむこともなさらないご様子に、不謹慎かもしれませんが、ほのぼのとしたうっとり感さえ覚えます。

お父様は、力士を「すいか」、テレビを「ぱっちん」、ティッシュを「かめ」、と言い換えて意思疎通なさっているとのこと、どれもそれぞれに、そう聞けばなるほどなあ、という関連性があるように思います。「すいか」の「す」は「相撲」の「す」、「ぱっちん」は昔のテレビのスイッチの音、「かめ」はティッシュで鼻を「かむ」ときの「かめ」でしょうか。

頭の中で記憶されているものたちは、それぞれに、いろんなカテゴリに分類されていると同時に、関連するものが同士が互いに紐のようなもので結ばれ合っているのかもしれません。脳の機能が通常営業しているときには、語彙も共用性の高いものが自動的に表に出てくるのでしょうが、脳のはたらきがある程度以上限定的な状態になると、ある概念について紐状に繋がっている別のものを手繰り寄せて表に出すようになることもあるのでしょう。

小学生の息子さんたち(お父様にとってはお孫さんたち)が、名探偵の意気込みで、おじいちゃんが「ぱっちん」と言えばテレビをつけてあげて、「すいか」と言えば相撲番組にチャンネルを合わせてあげて、「かめ」と言えばティッシュを手渡してあげる、そういう時間と体験を、積極的に得ているご様子にも、お父様と息子さんたちが、この世で、祖父と孫として出会ったことの壮大さに、深々と感じ入ります。