理解語彙と使用語彙

みそ文を読んでくださり、「歯科治療とやさしそうな夫」に拍手コメントをくださり、ありがとうございます。

配偶者の方が私のような感覚を持ってくれたらいいのになあ、と思われることがある、とのことですが、そのあたりは、慎重の上にも慎重を重ねて思ったり願ったりなさることを強くお奨めいたします。私が私のような感覚の持ち主であるがために、夫や実家の家族たちはいろんな苦労を抱えている様子ですから、私のような感覚の人間の話は、他人の話として聞く分には面白いけれど、家族としてともに暮らすのは、少々きついものがある、という類のものなのではないかなあ、と予想しております。いや、それでも、人生、苦労は買ってでもしろ、という格言もあることだし、挑んでみるぞ、ということであれば、その願いが叶いますように、陰ながら力強くお祈り申し上げます。

文中の「マジ」その他の語彙にひっかかるということで、「歯科治療とやさしそうな夫」の文中に「マジ」はあったかな、と思って読み返してみました。が、そこには発見できなかったので、おそらく、「みそ語り」のほうの「照れる正解」の文中の「本気(マジ)」のことかな、という想定をしてみました。

「マジ(本気、や、まじ、と書くこともあるらしい)」という語彙については、私自身は日常使用語彙ではないのですが、コメントをくださった方が使っていらっしゃいましたので、その方にあてたお返事として「みそ語り」を書きましたよ、ということが伝わりやすいように、同じ語彙を使ってみました。

「みそ語り」は、主に「みそ文」に対するコメントをくださった方に対するお返事コーナーとして書いておりますが、コメントをくださった方のお名前を出さないことにしてみています。そのため、どの記事が誰に宛てて書かれたものなのかが、読む方にわかりにくいです。それでも、コメントをくださった方が、ここ「みそ語り」を読んでくださったときに、その方が送ってくださったメッセージの中に書いた語彙が出ていることで、これは自分宛てかな、きっとそうだな、と判断しやすいといいな、という思いと願いを込めて、普段使用しない語彙や言い回しも用いてみる、などの工夫をして様子をみているところです。

「やばい(危険、という意味のほうではなくて、感嘆の高さを表現する「ヤバイ」の方ですよね?)」も、私にとっては日常使用語彙ではありませんが、使う人がいるときには、聞いたり読んだりしたあとに、一呼吸置くと意味は理解できる語彙です。

「マジ」のほうは、相手が使えば、それに対する返しとして、あるいは相槌として、使うことで事象の共有感の高さを演出できるようなときには使います。

しかし「ヤバイ」のほうは、返しとしても相槌としても、そのまま復唱することは殆どなく、返しや相槌は別の表現に換えて行っているような気がします。

「だったり」は、「食べたり」「思ったり」「してみたり」などの「たり」のことでしょうか。私の文章には、「たり」は割とよく出てくる方かもしれません。書こうと思ったけど結局書かなかったことや、敢えて削った内容などがあるときに、この「たり」をつけておくと、自分が自分の文章を後日読み返したときに、その書かなかったことや削ったことの存在や記憶を手繰り寄せる想像の余地が生まれる効果があるので、自分用記憶スイッチとして、「たり」を置くことがあるように思います。あとは、読んでくださるかたの想像の余地をひろげる目的や、断言による何かを避ける目的を持つ場合もあります。web上で自分が書いたものを一般公開することに伴う危険のようなものを予防する意図が根底にはあるのかもしれません。あとは、文章のリズム上、「だったり」や「たり」のその音数がぴったりの場合はやはり使います。

「とか」は、文中に一度書いたら、他の部分(特に地の文)では、「など」「や」「やら」等他の表現を使うように気をつけているつもりですが、会話文でその人が「とか」を多く使う人であれば、できるだけその発話者の使用頻度に近い頻度で書いておくことで、ああ、この記事のこの人はあの人、と私の中でわかりやすいようにしているところもあります。

自分が今よりもさらにもっと高齢となった老後を暮らすそのときに、自分の日記を読み返して、「ああ、あそこの職場ではあんなことがあったねえ、あんな人がいたねえ」などと思い出すときの資料として、日記を書きためている部分もありますから、私の個人的な事情で、個人的な用法が多い傾向はあるかもしれません。

感覚的にあまり得意でない語彙や言い回しが出てきたときには、気になったり気にしたりしながら、それでも読めそうであれば、読んでいただけるとうれしいですが、だめだわ、と感じられるときには、あまりご無理なさらず、読んで気持ちのよいものだけを選んで読んでくださるか、ちょっと休憩して距離を置いて、また体調その他絶好調でそのへんに関する余裕ありまくりのときを狙って読んでくださるとうれしゅうございます。

料理関係に多いらしい「していきます」という表現が、どういうものなのか、考えてみているのですが、私は気付かないうちに既に頻繁に使っている用法なのか、世の中でそういう言い回しがあること自体に気づいていないのか、それについては今回は「謎の箱」の中に片づけました。今後の生活と研究で「あ、このことか!」と思い至る日が楽しみです。

今後も他にもいろいろと気にかかる語彙や表現が出てくるかもしれませんが、「うう、気になる」ともにょもにょしながら、「でもまあ、何か事情や背景があるのかな」ということにしてくださりながら、それでも目に余る誤字や脱字が長期にわたってそのままのときには「こいつ、気づいてないらしい」と判断して、お手数ですが、「気づけよ(どの記事の何行目あたりを見よ)」の念を電脳伝書鳩の脚にくくりつけて飛ばしていただけると、たいへんにありがたくうれしく訂正活動に励む気概は満々です。