いちばんでも何番でも

「それぞれにそれぞれを慈しんでほしいから」に拍手コメントをくださり、ありがとうございます。

日頃から「みそ文」にお立ち寄りくださっているとのこと、ありがたくうれしく思います。web日記というものは、たぶんおそらく「読み逃げ(読むだけで特別何か筆者に対して感想を伝えるわけではない)」が基本の世界かな、と思っています。「逃げる」と言うと、何かを避けているような志を曲げるようなイメージが伴うかもしれませんが、ブログは、多くの場合、少なくともわたしの書くものに関しては、ただ単に、読んで、楽しんで、あるいは何かを感じたり考えたり心の片隅にちょっとだけ小ネタをメモしたりして、そして無事に自分の場に帰って戻ってゆく、安全な娯楽としての存在です。わたしもあちこちでそうして「読み逃げ」ておりますので、どうぞ今後も安心して、読んでは帰り、また読んでは帰って行き、を繰り返してくださいませ。自分が書いたものが誰かに読んでもらえるというだけで、そこにはある種の成就があります。いえ、もちろん、今回のように、拍手や肯定の上にあるメッセージをいただけるのは、書いた者としてはたいへんにうれしく、励みになり、また、自分が書いたものがそれだけで完結するのではなくて、いただいたメッセージが触媒のように作用して、自分の中でまた新たな独自の展開を繰り広げる様はとてつもなく興味深くて面白いので、またぜひお気が向いたときには、声をかけていただけますとさいわいに思います。

ところで、web上で「たいへん合戦」のような各種言説を目にすることにくたびれていらしたということですが、なんというかほんとうにお疲れ様でございます。

誰かの何かと比べて自分の何かを過小評価することにも放置に近い取り扱いをすることにも我慢を強いることにも、もちろん過大評価をすることにも、益を見出すことができません。物事はだいたいいつも、それ以上ではないけれど、それ以下でもないと思うのです。だから、そんな、ついうっかりと、過小評価や我慢傾向に身を置きそうになっている人には、そうだったそうだったいかんいかん自分のことは自分のことでそれはそれでちゃんとケアしなくちゃ、と、思い出してもらえるといいな、と、思ってあの記事を書きました。

今回の大きな被災の中にいる方たちのことは大きくこころ痛むことです。けれども、だからといって、今日の今のこの瞬間にも、わたしたちの手元にニュースとして届くことがないのだとしても、虐殺や拷問や監禁や虐待や性的被害などその他あらゆる自尊心を損なうような事態にある人たちの存在や、思いかげない災害に遭遇した人たちの存在や、それぞれのつらい気持ちや苦しい思いや、その人たちのことを想って自分のこころが痛む部分が、なくなることはありません。

誰かが何かに遭遇して、その人なりに息の根が止まりそうなのに、でも実際にはそう簡単に人の息の根は止まらないからこそのつらさの中にいるときに、それでもなんとか生き延びようともがき苦しんでいるときに、たとえ励ます目的であるとしても、気持ちを軽くしてあげたいからであるとしても、「いちばんつらいのはあなたではなく誰々の方なのだから」であるとか「早く忘れたほうがいい」だとか「もっとつらい思いをしている人がいるのだから、あなた程度のたいへんは日常茶飯事として埋没させるべきであり、特別なケアや工夫を行うのは単なる甘えとしか思えず好ましくも思わない」というような大意のことを伝えるのが適切であるとは思えないのです。

ありゃりゃ。なんだか長くなっちゃいましたね。なにはともあれ、それぞれがそれぞれの人生をおおいなる自尊心の中で存分に味わうことを、人類として目論見続ける所存にございます。