いもうとの誕生日

がっかり博物館愛好家さま。みそ文へのメッセージをありがとうございました。

愛好家さまの姉上さまとの記憶は、わたしにとっていつもやわらかで、そしてとても鮮やかです。

姉上さまと同じ病にて手術をなさったとのことでしたが、回復と養生が順調であられますことを、強く深くお祈りいたします。

姉上さまは、妹君である愛好家さまのことも、下の妹君のことも、さらに下の弟君のことも、「あの人たちときょうだいとして出会えてよかった」とよく話しておいででした。「あの人たちのようなタイプの人たちと、もしクラスメイトや同級生や先輩や後輩として出逢っていたら、こんなふうには親しくなっていなかっただろうな、と思う。きょうだいだからこそ、自分とはずいぶん異なるタイプのその個性を、面白く感じたり、かわいいと思ったりしたことで、きょうだいとタイプのよく似たクラスメイトなどに対しても、必要以上に壁や警戒心を抱くことなく接することができたのもよかったなあと思う」というような話もよく聞きました。

本日、七月二日は、愛好家さまのお誕生日ではないでしょうか。たしか、わたしの妹の誕生日と同じ日であったように記憶しているのですが、記憶違いだとしても前後数日の違いのはず、と決めつけて、おめでとうございます、祝祝、と寿ぎの舞を捧げます。

姉上さまにご招待いただき、九州のご実家に初めておじゃましたのは、姉上さまとわたしがまだ二十歳になって間もない頃であったように記憶しております。

そのときの愛好家さまは当時高校生でいらして、下の妹君は中学生、弟君は小学生でした。

あのときのわたしは今にして思うと、反応性抑うつ症状としての味覚障害を呈していた時期だったのだなあ、とわかるのですが、当時はまだ、それほどの知識や経験を持ちあわせておらず、自分が何を食べても砂をしゃりしゃりと噛んで飲み込んでいるような感覚について、人生そういうことやそういう時期もあるんだろうな、くらいに捉えていました。本来であれば、そのことに気がついて、改善のための対処を行うべきであったのでしょうし、当時のその数ヶ月以上一年近くにわたる味覚障害のために損なった栄養摂取状態は、当時のわたしの身体や精神にも、その後のわたしの心身にも、十分な影響を及ぼしていただろうと思います。

けれど、あのときに、九州のご実家のお母様が作ってくださったいろんなお料理をいただいたときに、特に、たしか、ご実家の近くにある大きな川の土手に生えている菜の花を飾ったちらし寿司を目にして口に運んだ時に、ああ、食べ物の味というのはこんなふうに感じるものだったなあ、と、食べ物にはこんなふうに目にも口にも身体にも色合いと形と味わいが感じられるものであったなあ、と、久しぶりに思い出したことを、思い出したというよりも、新しく学んだようなその感覚を、今でも鮮明におぼえています。

だから、九州のお母上さまは、わたしにとって、味覚の命の恩人であり、直接お礼を申し上げたことはないのですけれども、その後の長きにわたって、ずっと感謝をおぼえております。

その後も、ご実家には何度も、ほんとうに何度も、おじゃまさせていただいて、これまた何度も、お母上さまの手料理を、そして、愛好家さまの手料理を、ごちそうになったわけですが、復活した味覚でいただくそのお料理は、いつもどれも格別においしくて、食べることに対する愛が深いご家庭の料理というのは、ただのおいしさとは別の独特の「joy」のようなエネルギーがそこにあるものなのだなあ、ということを、毎回強く感じました。

だから、お母上さまには本当に感謝をしているの、と、姉上さまに話したときに、姉上さまは、むふふ、と笑い、「おかあさんに、みそさんがそう言ってたって話しとくよ。うちのおかあさん、こういう話に弱いけん、ぜったいすごい喜ぶはず、むふふ」と言っておられました。

ご実家でのおいしい食事をごちそうになるときに、当時のわたしは、今と違って、たくさんのお酒をおいしく飲むことができ、なおかつそのことをこよなく愛しておりましたので、いろんなお酒もほんとうにたくさんごちそうになりました。

ご両親様は、最初は、いつも、「みそさん、遠慮せずに、たくさん食べて、たくさん飲みなさいよ」と声をかけてくださいましたが、何度目か以上の何度目かにおじゃましたときには、お父上様もわたしと同等量以上にたくさんのお酒(たしか赤ワインだったような)をお召し上がりになり、酔った勢いで「みそさん、もう、それぐらい食べて飲んだら、十分でしょう。みそさん、飲み過ぎ食べ過ぎですよ」と注意してくださいました。ほんとうに、ご両親さまは、それほどまでに、わたしの味覚と食欲の復活に、深く関わってくださった方たちなのです。

そういえば、あのときには、お父様は、お若い頃の思い出話もたくさん聞かせてくださって、「みそさん、ぼくは若い頃は、MMSだったんだよ。MMSってなんだかわかるかな」と問われて、わたしが皆目見当がつかず、ご家族皆様も「なにそれ?」という顔をなさっていて、わたしが「わかりません。なんでしょう、MMSとは」とお尋ねしたところ、「もてて、もてて、しょうがない、の略でMMSだよ」と教えてくださいました。すると、お母上様と姉上さまが「ああ、もう、おとうさん、飲み過ぎ、酔っ払いすぎ、もうこれ以上飲んだらいかん」と半分は大笑いしながら、そして半分は叱るようなかんじで言われたのでありました。

ああ、なんだか、つらつらと、姉上さまとの思い出を書きだしておりますが、姉上さまが妹君である愛好家さまに関しておっしゃっていたのは、「上のいもうとは、自分の身体と真剣に向き合う腹をくくらんといけんのんよ。こういうことは、かわしてかわしきれるようなことじゃないということを、ちゃんと思い知ってほしいんだけど、まあ、姉のわたしがそれができてなかったからこういうことになって、その妹やけんね、いろいろ難しいとは思うけど、でも、あきらめずにそうしてほしいし、わたしも今はもう腹をくくってるけん、この調子でこれからは自分の身体としっかり信頼関係を築いていこうと思うんだー」ということでした。

彼女のことだから、きっと、そういう意味合いのことは、すでになんらかの形で、愛好家さまにお伝え済みであろうこととは思いますが、他界中の姉上さまがこの世を修了なさった日を近くに迎えるにあたって、そして妹君である愛好家さまのお誕生日を迎えるにあたって、書き記しておきたい気持ちになりましたので、こうして筆をとりました。

どうぞ、これからの、あたらしい年齢の一年が、よりいっそう願わくばが多く叶うときとなりますことを祈念しつつ。