裏日記

「夫の日記(weblog)」に拍手コメントをありがとうございました。

夫の日記のタイトルを「裏日記」と命名までしていただいのですが、当の夫は、当時はあれほど、自分がわたしの日記ネタになることに文句を言っては「おれが真実を暴露してやる」と息巻いていたのですけれど、最近は、彼も、わたしが何か書いていても、「書き助さんはたいへんだねえ、がんばってねー」と気にすることなく応援する、という技を会得したようです。

それによくよく考えてみると、いや、考えてみなくても、夫は文章を書くことに興味のない人なので、わたしに対する告発文を書こうにも、そうすんなりとは書けない、ということにも思い至ったのか。

夫は来週の土日で、初の富士登山に行くのですが、そのためにここ数カ月は、週末には近場の山で練習登山を、平日の夜は自宅近辺をジョギングしてトレーニングを重ねてきました。

富士山に持って行くヘッドランプ(登山で夜道を歩くときに頭にかぶって前方を照らす照明)を家の中でかぶって、家中の電気を消して真っ暗にした状態で照らして歩いてみたり、山小屋で寝る練習として、百円ショップで買ったアイマスクと耳栓を装着してお昼寝するなど、たいへん活発にたのしそうに準備をしています。

その富士山登山用に、夫はこのたびデジタルカメラを購入しました。

夫はわたしのブログを見ると、よく、「そんな、字ばっかりじゃなしに、もうちょっとこう、写真を間に入れて読みやすくするとか、したほうがいいんじゃないん?」と言っていたので、「どうやらくん。山の写真撮るんじゃったら、自分のウェブ日記に、登った山の写真を記録していったらいいんじゃないん?」と言ってみましたが、「そんなことはしない」と力強く断言していました。

そういうわけで、どうも、夫の「裏日記」の実現は、あんまりなさそうです。


ところで、夫さんとのコミュニケーションが茨の道のような荒行のような、ということでしたが、夫さんの場合、日本生まれ日本育ちなのにその日本語が「日本語が流暢な外国人留学生のよう」ではあるとしても、ぜったいに、悪意や意地悪はまったくいっさいないはずなんですよねえ。

ただ、コミュニケーションにおける推察能力や慮り能力が高い人にとっては、推察や慮りのない間を読まない物言いが、ある種暴力的に感じられることがあるのは、たしかにそう。特に弱っているときはなおのこと。

夫婦道の諦観も含めて「おおー、また出たかー、今度はそうきたかー」と面白がれるときには自分の心身の調子が良好、「なんだとー、このやろー、いまの私にそれを言うかー」と感じる時には弱り気味、と自覚して把握するための指標としては、使えるでしょうか、どうでしょうか。

自分の健康の指標は、もう少し、別のところで見極めたいものですけれど、何か使い道を見出せば、その荒行の存在も有用に思えてくるのではないかと、むにゃむにゃ。