山と温泉と祈念

富士山と日光東照宮と我が家」にメッセージをくださりありがとうございました。

おかげさまで、夫は、その後、山に登る人として、着実に成長を遂げているような気がいたします。

富士山に登ったあと、少し前には白山(はくさん)というわりと近くの山に登りました。

近々、立山(たてやま)(あれ、そういえば、立山は館山ではなく立山なのだな。最近どこかで館山と書いたような気がする)に登るそうです。

富士山と白山と立山が日本三大銘山霊山と呼ばれる山なのだそうです。

その後は、全国のたとえば百名山などの全国を目指すタイプの人と、地元周辺の山を(地元周辺に山があればですけれど)中心に巡るタイプの人と、おおまかに二種類に別れてゆく傾向があるような気がするなあ、と、夫は話していました。

中高年に人気がある点も、全国の有名所を目指すタイプと無名でも地元周辺のじっくりとしたよさを追求するタイプとがいる点も、山登りは温泉巡りと少し似ているところがあるかもしれないねえ、と話しているところです。

温泉と山で異なることがあるとすれば、温泉に関しては、怪我なく無事に帰って来ることをことさら強く祈念しない(祈念しないわけではなく、普通には祈念する)、山の方はことさら無事の帰宅を強く念じる側面がある、というのが、差異かもしれません。

夫が山に登る回数が多くなればなるほど、私が夫の無事の帰宅を祈念する回数が多くなり上手になっているような気がしています。

今回、広島帰省の車中で、高速道路周辺の山並みを眺めながら、夫と「山(mountain)」と「丘(hill)」の違いについて話をしたのですが、こうしてみると、山登りをする人が登りたくなる「山」はやはり少なくとも標高千メートルを超えるようなものが「山」であって、標高数百メートルのものは「山」ではなく「丘」なのだなあ、ああ、だから、山を切り開いた住宅地などの名前は「なんとかヶ丘」や「なんちゃらヒル」なのねえ、と納得しました。