富士の風呂が気になる人々

山の上の郵便局」を読んでくださって、メッセージをくださり、ありがとうございます。

山歩きをよくなさっていたとのこと、夫の先輩でいらっしゃいますね。

夫も山登り山歩きに関しては、快も不快もひっくるめて殆ど何もかもがたのしい様子です。

快は主に壮大な眺望や景色のよい部分で、不快は人気の高い山だと人が多くて渋滞していて自分のペースで歩けないことや、人気が低すぎる山だと登山道の手入れがあまりされていなくてどこを歩いたらいいのかわからない、というようなあたりにあるようです。

お盆に帰省したときに、実家の母が「富士山の山小屋はどんなお風呂なん?」と夫に訊いていました。富士山の山小屋にはお風呂はなく、水道もなく、お風呂に入れないだけじゃなくて歯磨きもできないんだよ、と私が説明したら、「うひゃあ、それは私には無理だわあ」と言うから「じゃろ?」と言いました。でも夫は「僕が行ったときはすごく混雑してたからだけど、あんまり人が多くないときなら、持参のペットボトルの水を使って歯磨きしてうがいもできるんかもしれん」「山小屋ももう少しすいているときだったら、ちゃんと持参のウェットティッシュみたいなので顔や身体や足を拭いたりもできると思うんですよ。僕の時は、とにかく人が多くて、そんなことも一切できなくて、着替えも全然できなかったんです。靴下も履きかえてから寝たかったですけどそれもできなくて、でも、すいてるときなら、靴下履き替えるくらいできると思いますよ」と追加で説明しましたが、母は「いや、それでも、やっぱりいいわ」と言いました。

母は中学生の時に学校行事で大山(だいせん)に登ったことがあるそうです。あのとき山の上から見た景色はそれはそれは雄大で、一度は見たほうがいいとは思ったけれど、一度でいいとも思ったそうです。

夫は母に「昔は登山をしている道中の水分補給や栄養補給の仕方が今のように合理的ではなかったから、中学生でもバテバテになったかもしれないけど、今は、ちょっとずつなにか食べながら歩くとか、その食べるものも効率良く必要な栄養素を補えるものもあるし、水分補給も歩きながらでも少量ずつこまめにする、という方法があるから、昔みたいに休憩するまでは食べたり飲んだりしちゃだめ、というのに比べるとずいぶんラクに登れるんですよ。そういう工夫をするのとしないのとでは、登ってる時も帰ってからも疲れが全然違うんです」と説明していました。

その後、夫の実家に行ったときには、今度は義母(夫の母)が夫に「富士山はどこまで登ったん?」と訊いて、夫が「てっぺんまでに決まっとるじゃろう」と答えたら、「ひょえー、すごいねー」と感心してから「でも、富士山でもお風呂には入れるんじゃろ?」と訊きました。夫は「入れるわけないじゃん」と言い、私が「歯磨きもできんし、顔も洗えんのんですって」と追加説明したら、義母は「あひゃあ、それは無理無理、私は一生よう行かんわあ」と言いました。私は「よう行かん、というか、行きとうない、ですよね」と言いました。

それにしても、母、という存在の人たちは、富士山ときたら、風呂が気になる仕様になっているのでしょうか。

おかげさまで、夫は山に登るたびに山登りが上手になっていて、私は夫が山に登るたびにお見送りとお出迎えが上手になっています。この調子で精進します。