謎の天の声

少し忘れた頃に叶う願い」に押し葉コメントをくださり、ありがとうございます。先にいただいたメッセージも追加のメッセージも両方無事に届いております。嬉しく読みました、ありがとうございます。

転職して最初の時期は、いつどこでどこに転職してもそうなのですが、今回も本当に、慣れてゆくのでいっぱいいっぱいで、文を文として綴るエネルギーも全て「慣れる」ことに動員していたかんじでしたが、少しずつ、文を綴るほうにもエネルギーを自然と使えるようになってきて、よかったなあ、と思っているところです。いろいろなご支援のおかげさまであることだなあと感謝がふつふつと湧出および沸騰中です。

願いが叶うというのは、自分で明確な意志を持って意図的に選択した結果の部分ももちろんあるのでしょうが、なんとなく時の流れに身をまかせていたらそこに運ばれてゆくようなことも少なからずあるのでしょうねえ。

運ばれてゆく、というか、運ばれてゆくような流れの上にある船のような何かに乗るオプショナルツアーなのか基本ツアーなのかわかりませんが、そういうものに自分で申し込んでこの世の旅に出てきているのだろうなあ。

今回就職した会社に関しては、どうしてここの会社なんだろうなあ、私はここに面接に行くのかなあ、と思いながら、それでも履歴書を書くのは自分で、その履歴書に証明写真を貼るのも自分なのですけれど、今ならあのときの「なんだろうなあ」と思いつつ、「職歴多すぎてどこを端折るか考えるのが面倒くさいよう」とぐずぐず言いつつ履歴書と職務経歴書を準備していた私に、「フルートよ、フルートっ」と謎の天の声をかけてやりたい気分です。

たしかにあのとき(転職活動をしていた時期)の私は、自分がフルートの伴奏をピアノで弾きたいと願っていたことなどまったくおぼえていませんでした。

もしかすると、願いごとを叶える秘訣は、いったん完全に自分のその願いを忘れることなのかもしれないですねえ。

しかし、自分の記憶の箱の中にいろいろあるもののなかから、思い出したいものを思い出すのも難しいものであるとはいえ、何かを忘れるのは忘れようと思って意志の力で忘れられるものでもないあたりが願いごと道のこしゃくなところです。

せめてその願いがかなった時には、ああ、たしかに自分はそれを願っていた、と思い出すことができれば、願いが叶ったことにも気づくことができますので、そしてそれを喜び寿ぎニヤつくこともできますので、ぜひともそこは思い出せるようでありたいものです。