如意棒の如意

「如意不如意」に押し葉メッセージをくださりありがとうございます。

そうなのです、そうなのです、子どもの頃、孫悟空の如意棒の棒は棒なのが明らかにわかるけれども「ニョイ」ってなに「ニョイ」って、と思っておりました。

そしてニョイが如意だと知り、ああなるほど如意棒ね、と思ったのはいくつの頃だったのだろう。

手先がちょっとした失敗をするたびに自分の手先を「こらこら」と叱りそうになりますが、いやまていやまて、これまで長年の間、手先がその仕事の殆どを成功させてくれていたときに私はいちいち手先に対して「うまくやってくれてありがとうね」と礼を言ったことがあっただろうか、と思い直し、叱る前にこれまでの礼をまずは十分に伝えようね、と決めて、手先が失敗したときには「お疲れ様です、長年どうもありがとう、今もこれからもどうぞよろしく」というよな言い回しで自分の手に対する思いを持つことにしました。

人類としてヒトとして手という部位の動きはけっこうかなり気に入っているので、いえ他の身体部位のつくりや働きも相当気に入ってはいるのですが、どうせ言うなら文句ではなくて、喜んでお世話になっているという気持ちのほうを意識して言葉にしたほうが結果的に自分の心身にとって得策なことが多いのだろうな、と予想します。

なにかのポイントを貯めたり割引を狙うなどの「オトク」作戦にはあまり積極的ではないのですが、自分や自分の大切な誰かの身体の細胞が機嫌よく働くことを狙う「オトク」作戦には積極的なほうなので、自分の手指を手入れしよく話し合い、生きている間それなりに自由に手を使い続けることができる便利と快適を継続享受したいから、自分の手にそして身体にさらに細胞たちに日々「如意如意」と語りかけることにしようっと。