眼鏡と時計とのど黒飴

ノドグロへの道」にコメントをいただいてからずいぶん時間が経ちまして、お礼とお返事がすっかり遅くなりましたが、ありがとうございました。

ノドグロとはまだ出会ったことがないけれど、ノドグロと聞くとのど黒飴を思い出し、のど黒飴を見るとノドグロを思い出す」というコメントをいただいてすぐにこれは朴(パク)さんのことを書きたいと思いました。

朴さんというのは私が二十代半ばの頃に韓国語を初めて生の先生について習ったときの先生です。それまでの数年はテレビ講座ラジオ講座の先生について習っておりましたので、テレビやラジオ越しでなく生身で対面する先生は朴さんが初めてでした。

お返事に朴さんのことを書こうと思い始めますと、朴さんの話があれもこれも浮かんできまして、どうにも収集がつかなくなり、これはちょっと本来お返事に書きたい部分だけをまとめられるくらいに落ち着いてから書きましょう、と思いまして日を置き待っておりました。

ノドグロとのど黒飴でなぜ朴さんかといいますと、朴さんの眼鏡と時計に似ているような気がしたからです。朴さんは日本語学習の過程で「眼鏡」と「時計」を同じ時期に同時に記憶したから(だとご本人は言っていた)なのか、「眼鏡」と言いたいところで「時計」と言い、「時計」と言うはずのところで「眼鏡」と言うことがありました。

たとえば「みそさんは時計がとても似合いますね」と言ってくださるものの私は腕時計はしていなくて、はて、私の時計とはと身の回りをキョロキョロとさがしていると「あ、間違えました、時計ではなく眼鏡でした、みそさんの眼鏡はみそさんにとてもよく似合っています」と訂正してくださるのでありました。

あるいは「ほら、あの、時計をしている男の人です」と、そこにはいない誰かのことを話題に持ちだして誰であるかを特定するための特徴を話すときにも「朴さん、それは時計ではなくてもしかして眼鏡?」と訊くと、「ああ、そうです、眼鏡でした。時計と眼鏡はいつも似ていますね」と言われることもありました。

朴さんご自身も自分が眼鏡と時計を頻繁に言い間違える癖があるということは自覚しておられて間違えるたびに「うわー、また間違ったー」と頭を抱え、眼鏡や時計の語彙が出てくるたびに「えーと、今のは眼鏡で合っている、かな、よし、だいじょうぶ」と確認しながら眼鏡と時計という語彙を使っておられました。

たしかに眼鏡屋さんと時計屋さんはなんとなく少し仲間な部分があるような気がしないでもありません。しかし、韓国語では「時計」は「シゲェ」、「眼鏡」は「アンギョン」と発音するのですが、朴さんは韓国語では時計と眼鏡を言い間違えることはありません。間違えるのは日本語のときだけです。「とけい」と「めがね」の三文字同士で似ているのが間違いやすさを増幅するのでしょうか。

朴さんの「時計」と「眼鏡」に比べると、「ノドグロ」と「のど黒飴」は「のどぐろ」という音が確実に重複しておりますので、食品の種類としてはまったく別のものであるとはいえ、連想するのもしごくまっとうなことのように思えてまいります。

そういえばノドグロは、私もスーパーの鮮魚コーナーではあまり見かけることがありません。私がよく利用するスーパーで見かけないだけであって、鮮魚や干物に力を入れているスーパーでは取り扱いがあるのかもしれませんが。

隣県の魚料理屋さんの一階の魚屋さんでノドグロを買う以外には、私は生協カタログの「小さいけどおいしい」と書いてある「ノドグロ(アカムツ)の干物」というのを買って焼いて食べます。

私は日本海生まれの瀬戸内育ちで現在はまた日本海暮らしをしているためこのノドグロのことをノドグロと呼ぶ文化にどっぷりはまっておりますが、他の地方では「アカムツ」と呼ばれることが多いのやもしれません。

ノドグロがなぜノドグロなのかというとそれは喉が黒いからでして、焼き魚にしたノドグロの頭部をバリバリと分解して食べるときにノドグロの口蓋を覗きこみつつつかんで開くたびに「ノドグロの喉は黒いなあ」と思います。ぜひノドグロ(アカムツ)と遭遇された折にはその喉の黒色を見てみてください。しかし魚として喉が黒いとどういうよいことがあるのでしょう、餌となる小魚が入ってきやすいなどのメリットがあるのだろうか。

ノドグロ白身魚ではあるのですが、たいへんに脂のりがよい魚で、旨味の種類としてはマグロのトロの仲間のような味わいです。でも白身魚なのでマグロや青魚に比べると消化がラクな種類の脂のように感じます。

朴さんについてはいろんなことを思い出しましたので、また何度かに分けてみそ文に書きたいです。