苗字と屋号

お礼とお返事がすっかり遅くなりましてございますが、2月には「切妻屋根はゲイブルズ」にコメントをくださりありがとうございました。

グリンゲイブルズは家の色形の特徴ですが、たしかに日本でも「だれだれさんち」と苗字で呼ぶのではなくて大きな松の木のあるお家を「一本松の家」と呼んだり一昔前だと苗字とは別の屋号などで呼んだりするケースがあったように思います。なにかこう苗字で呼ぶのとは別の愛着や存在に対する肯定のようなものがその呼び名にはあるのかなあ。

思えば去年の今頃は連続テレビ小説花子とアン』の視聴に忙しく、一日に七回くらいは繰り返し録画を見ては美術や衣装の微細なところまで堪能していたものですから、たいそう疲労困憊気味でありましたけれど、今は穏やかな毎日です。

我が家では夫がわりとだらだらと見るでもないテレビをつけて放置していることがときにあり(場合によってはそのまま別室に行って数十分以上いなくなることもある)、賑やかだったり騒がしかったりするテレビの音声や構成が苦手な私は「見てないときは音を消して」「見てないなら消して」と言うことがよくあります。テレビに関しては「見るなら見る、見ないなら見ない」スタイルを好む私としては彼との共同生活には折り合いが必要で、もちろん彼のほうとしてもテレビに限らずいろんなところで私と暮らす上での折り合いを大量につけてくれているのだろうとは思うのですけど、私みたいに「見るとなったら録画を何度も何度も何度もしつこく見る」というテレビの見方は「見るなら見る、見ないなら見ない」には当てはまってはいるとはいえ、やはりなにごとも加減というものがだいじで、「見るなら見る、見ないなら見ない、見るにしても節度をもって、見ないのは全然見なくてもまあかまわないといえばかまわないかも」を信条に生きてゆこうと思うことでありました。