麦茶と箱膳

ひと夏の麦茶ポット」にコメントをくださり、また過去においてもみそ文を読んでくださっていたとのこと、重ねてお礼申し上げます。私の日記の書き方は「続けている」というのに相当するかどうかというと微妙な気もいたしますが、我が家で夫婦で年賀状版画を作成するのが年一回であることを思うとあれも「続いている」うちに入るとすると月に一回から数回の日記を書くのも続けていること続いていることのうちなのかもしれません。

麦茶ポットの洗浄、細菌感染予防のことを思えばそれはもちろん洗うほうがいいとは思うのです。ただ、少し前の時代までは箱膳で各自の食器を保管して食事を行い、お茶碗にはご飯、お椀にはお味噌汁、その他の器にはお漬物や煮物焼き物などの一部が付着していたはずですが、箱膳時代の人々はそれらの食器を毎回水洗いするわけではなく、お茶と漬物でゆすぎぬぐう程度で毎日毎度の食事を行いその食器はそのまま箱のなかに片付け、ときどき何日かにあるいはもっとたまに一度まとめて洗い天日に干してまた箱に片付けては食事に用いていたことを思うと、もちろん昔は早逝するひとも多かったわけですが、それでもそれで大きくなり子孫繁栄していたということは、人間は思ったよりも丈夫にできていて、丈夫な個体にとっては麦茶単品ごときでそんなに毎回容器を洗わなくてもどうってことないのかもしれないとも思います。

しかし私はどちらかというとあんまり丈夫な個体ではないので、生きている間の安全や安寧のためには食器関係のものはこまめに洗ったほうがいいんだろうな、という気がかなりいたしますのでそうして生きてゆくようにございます。